40年ぶりに訪れた”平和台球場”。跡形もなく整地されて広い公園になっていた。親子や若者が遊んでいた。えーっ?!あの球場はどこへ行った?本当にここか?今は昔と言うが・・・本当に跡形もない。
その昔、鴻臚館という今で言う迎賓館があったのが、この場所。1300年ほど前の話だ。その資料を展示している所のオバサンに「ここが本当に球場だったのか?」聞いてみたが、間違いなかった。変わるのが早いのか遅いのか、やはりこの100年の歴史は恐ろしく変化があったのだろう。
近代化があり、戦争があり、敗戦復興と目まぐるしい100年。1300年前からの変化とはスピードが違う、時の流れ方が違うということか。
平和台球場を示す案内板やモニュメントがあった。資料館のオバサンが親切に教えてくれた、とても感謝している。多少は考古学を学んだ者として、そちらの方にも興味があったので、いろいろ質問をして初めて知ったことがたくさんあった。
そして愛してやまない西鉄ライオンズ・ファンの市民、まだまだ忘れ去られていないようだ。私だって記憶にある!豊田泰光、中西太、大下弘、稲尾和久・・・スーパースターずらり!日本シリーズ3連敗4連勝の逆転とか、伝説のチームだった。
そんなことを思い出しながら、歩き過ぎた。汗だくだく、ふくらはぎも痛い・・・夢中になり福岡城を散策しまくった。
※駄句
蚊を払い草分け眺む夢の跡(天愚)