teng1954のブログ

定年後に世界1周旅行。再就職・・・終活かな

天愚の汗だく駄句

築40年・・・我が家の状態、外装も内装も2度ほど手を加えてある。家電はほぼ3代目だ。10年ほどで一斉に不調になる家電類、これには毎度ながら驚く。昨年から今年にかけトイレ、給湯器も不調で交換した。これも3代目。

最初からあった化粧洗面台を買い替えることになった。20年ほど前に一度壁から外れて大惨事寸前!すぐに建設した会社に連絡を取った。来た業者が怖い人で、何も言えずドリルなどでガンガンやって帰った。これが力ずくの仕事で化粧台にはヒビ、壁には突き出たネジ・・・散々な結果に。

それでも何とか使い20年、化粧台に入ったヒビも酷くなり虫の棲家にもなっていそうなので変えようと。いろいろカタログなど見たが最低10万円はしそうだ。近所にはホームセンターはない。調べると水道橋にコーナンがあるようだ。ビックリすることに講道館のビルだった。

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水道橋で電車を降りて、講道館をめざす。これが加納治五郎先生の銅像講道館柔道の創始者であり、日本の五輪参加へ尽力した人物。NHK大河ドラマで活躍が描かれていたなあ。私は見なかったけれど。

中学生の頃、柔道をやっていたのに講道館を見るのは初めてだった。中学の時は結構見どころがあったらしく、私立高校2校から特待生の話があった(自慢?)。しかし、父が厳しくて公立高校以外はダメ!ということになった。

中学2年で黒帯を取り、高校で柔道を続けたが1年で辞めることになった。今も少し残っているが、納得いかないと抵抗したがる気質が短気を起こさせる。

公立高校同士の親善試合があった。その時私とは対戦がなかったが、中学の時1度負けている強い選手が出ていた。彼は包帯で腕を吊っていた。そんなので出るの?と思った私。案の定、怪我をしている相手と対戦する選手は「やりにくそう」だった。痛いところ攻めるなんてできない・・・。

怪我をした選手はでるべきではない、それが分かるような恰好ならなおさらだ。少なくても腕を吊ったような姿では、相手に失礼だと思った。それが閉会式の時に大会委員長が「怪我をしていても、あの活躍は見事」とベタ褒め、賛辞を贈る始末。

私は呆れてしまったのだ。閉会式の途中で嫌気がさし、黒帯を投げ捨てて立ち去った。何が正々堂々だ!憤懣頂点。閉会式の後、同校の先輩が私が捨てた黒帯を拾ってきていて渡してくれた。お互い何も言わなかった。私は高校1年の春で柔道は辞めた。

その後、公立高校には珍しいレスリング部にスカウトされ青春をかける。それは冬になってから。それまでの半年は映画三昧だった。映画好きになったのは、半年間の運動部空白があったせいだろう。

柔道・・・そんな事を思い出させる加納治五郎先生の銅像であった。

最近の出来事でも「そんなら出るな」と思ったことがあったので、ついでに書いておく。テニスの大阪ナオミだ。モノを言う選手として有名だが、良いこと悪いことを混同しているのではないか、と思う。

確かに負けた選手へのインタビューとか行き過ぎもあるだろう。しかしプロの選手の宿命、スポンサーやファンの声に応えなければならない。

いろいろ言った挙句に「病気だった」では、不祥事を起こした政治家の入院と変わりないじゃないか。

ボルグのことを思い出した。ビヨン・ボルグ、スウェーデンのテニス選手だ。コナーズ、マッケンロー時代の強豪選手だった。彼も忙しすぎて病んでいたらしい。それで26歳で引退してしまったのだ。1956年6月6日生まれで666=悪魔の子と呼ばれた天才プレーヤー、潔いではないか。

不条理に抵抗するのもいいが、何でも反対すればいいのではないと思うが。

 ※駄句

コロナ禍や五輪は見えぬ梅雨の街(天愚)