また訃報だ。谷村新司に続き、もんたよしのり・・・。1980年代に一世を風靡した人たち、70歳前半の歳で逝った。私と同世代の方は、必ず1曲は知っているヒットメーカーだった。
↓今朝のサンスポ
「ダンシング・オールナイト」は大ヒット・・・80年くらいだったか。結婚したばかりで、財布を落としてしまった。落胆していると、2,3日後に封書が届いた。財布が入っていた。
タクシーの中に落としたらしい。仕事は深夜に終わる、そしてタクシーで帰宅する毎日だった。財布には免許証、名刺などが入っていたので送ってくれたのだろう。そして銀座のクラブの名前と源氏名も書いてあった。
お金も手付かずで入っていた。「これはお礼に行かなくてはならない」。しかし、30歳前の私には場違いな気がする。そこで後輩に付き添ってもらって、銀座のクラブへ。
大きなクラブだった。ダンスフロアがあってフルオーケストラ!財布を拾ってくれた美樹(だったと思う)さんを指名。お礼を言うと「飲んでいきなさい」とのこと。一応、お金は持って行ったが、二人の所持金を足せば何とかなるだろうと。
30分ほど経つと、美樹さんが「初めてのお客さんは、オーケストラバックに歌うのがルール!」と、後輩が歌ったのが「ダンシング・オールナイト」熱唱だった。次は私の番。周りを見ると40歳くらいの客が多かった。10歳上の先輩たちに喜ばれた歌を選んだ。
指揮者に小声で「怪傑ハリマオ」と言うと、大乗り気で3番まで行くぞ!と言われた。前奏が始まるとクラブはシーンとして、その後大喝采が!やはり、その年頃だったのだ。歌詞カードもなしに3番まで歌いきって、ホッと一息。
さて、閉店時間になり帰ろうと会計へ行く。美樹さんが付いてきて、今夜は無料だと言う。これはヤバイと思ったが、好意に甘えた。もう一度行くことになったのは、仕方ないだろう。次は一人で行って、たっぷり支払った。
もんたよしのり死去で、そんなことを思い出していた。
谷村新司の訃報では、タイのバンコクでの思い出が蘇った。「若人の船」という若者の研修目的の船があった。そこの講師兼取材という立場で乗船したのだ。バンコクでは新聞社の支局長が待っていて、即夜の街へ。
そのクラブに入ると、日本人のお客様が来たと歓迎の歌は「昴」。みんな日本語で歌ってくれたのだ。チンペイは凄いなあと思ったものだ。
2人の偉大なシンガー・ソング・ライターに合掌。
※駄句
秋の夜ロックに揺れるしゃがれ声(天愚)