新しい職場の周囲を散歩、八丁堀には様々な物がある。早乙女主水のあだ名になったように、江戸時代は与力・同心たちの屋敷があった。その与力や同心が信仰した純子稲荷も残っている。今も大切に祭られて、きれいに保存されていた。
写楽もこの辺りに住んでいたらしい。わずか1年足らずの活動で数々の傑作を残した謎の絵師。阿波藩の能役者だったという説が有力で、その住居があった。
芭蕉の句碑「菊の花咲くや石屋の石の間(あい)」もあった。この辺りには水路を利用した石屋が多かったとも聞いた。
堀部安兵衛の家があったとか書いた碑もある。彼が住んでいた場所と同じ町名があったので、ちゃっかり自分たちの土地に?江戸っ子らしい見栄かな。赤穂浪士は人気があったんだろうなあ。本懐を遂げて渡った永代橋、泉岳寺まで行進した。その永代橋も近くだから。
とにかく水路が多かったようだ。門前仲町の富岡八幡は船で参拝できた。武士やその子女は、その方が楽だったよなあ。もちろん大商人の家族も。史跡がたくさんあった散歩だった。
※駄句
苔むして江戸の名残りや秋の朝(天愚)